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歴 史

創建

創建

大門町誌によると、天文3年(1534)に岡志摩守(おかしまのかみ)がこの地に勧請をした、とあります。
別の伝では、それより以前は以前の坪生村に上之坊はあって、開基は宥明僧都(ゆうみょうそうず)です。この方は高田若狭守(たかだわかさのかみ)の実弟で、元中9年(1392)から応永3年(1396)にかけて別所山に建立されたとあります。
しかし、天文7年(1538)にその大橋山城は落城しますが、それを待たず高田一族と上之坊の関係は絶たれてしまいます。
岡氏や枝広城、また大門に先に建立された真明寺との関係など今から500年前に移る時にはさまざまな争いがあったようです。上之坊はそのような乱世の武将にとって、一族の繁栄を祈る寺院でもあったようです。


背景

背景

室町時代の大門は、交易船の出入りで榮え、四国の河野氏の一族がこの地を支配していました。そこへ藤間氏や岡氏、陶山氏などの武将が現れます。
当時大門で一番古い寺院の真明寺は、明応9年(1500)に高田河内守則義の父肥後守宗重の家老松田次郎元真が建立されていましたが、上之坊の勧請によってその傘下に入っていきました。


鎮守・権現・寺領

鎮守・権現

文化2年(1805)の由来記には、上之坊に属する鎮守・社は、旧大津野村では、加茂大明神、五箇八幡宮、春日大明神、丑社、能島村の八幡宮などがありました。
また、大門・津之下・野々浜・引野・吉田・能島・浦上の七ヶ村へ毎年牛王札を配るなど、近隣信仰の中心になっていたようです。
上之坊および真明寺の寺領は大門の鉄道より北側に広くありましたが、当時の名残で、旧大津野小学校(今の大門未来園)などが残っています。



太平洋戦争

第2次世界大戦で、上之坊は大阪の小学校の疎開場所になっていました。また、お寺の鐘楼堂の鐘も供出され、寺宝であった正宗の名刀もこの時に供出されてしまいます。
戦後には農地開放があり、山林を除きほとんどの寺領を失ってしまいました。しかし、そのような歴史を乗り越えて、長い年月を経ても脈々と歴史を受け継ぎ、法灯が消えることなく輝いています。先人達の目には見えない力が今でも根っこで支えて頂いていることを想います。


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真言宗別所山 上之坊

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